Saturday 4 November 2023

Twin Lighthouse Challenge 2023 part2

1840に集合時間が設定特に説明はないが、各自バスの前に並んで乗車。乗車前に番号を言って確認する。

自転車は輪行袋に入れる。別車でそのまま運ぶ年もあるらしい。
空いているスペース(座席含む)にそのまま輪行袋を置いていくスタイル。
渋滞もあり21時ぐらいに会場に到着。そのまま各自自転車を組み立てる。特段エントリがあるわけでもなく、駐車場の一角にあるスペースで「荷物の受付」「水の補給」「空気入れ」のサービスがある。
ゴール地点には荷物を送ることができ、送られてくるタグを取り付けて預ける。ゴール地点では、番号別に並べられたものから各自とっていくスタイル。

ファンライドイベントなので、特に受け付けはない。ヘルメットに貼るゼッケンにチップが搭載されており、スタートラインやチェックポイント、ゴール地点でタイムが記録され、ゴール後に成績が出るようになっている。

そうこうしていると、30分ぐらい前になりなるべく前に並べるようにスタート地点に並ぶ。時間になるとスタートの声がかかるのでそのままスタート。あとでタイムを見るとスタートから1分経過してスタートラインを通過したようである。
最初はかなり暗い上に、スピードが速い。信号も止まらずに通過する。アップダウンもあり、体力的にも精神的にも消耗する感じがした。基本的に平坦な道であるものの、富貴角から関渡までの台2線は細かいアップダウンが多い。もともと下りがそれほど得意ではないのもあるし、道をよく知らないし、今回は台湾に来てから初めて自転車に乗るのでまだ慣れていなかった。
登りは集団の効果で空気抵抗もないから上りやすいが、また下って登ってを繰り返し、かつはぐれないようにするのは気持ち的にせわしなかった。
そして、一回、チェーン落ちしてしまって路肩に止まったが、それほどのロスタイムもなく合流することができた。最初からアウターで進めばよかったなぁと感じたときである。もっとゆっくり進むかと思っていたのに。
桃園空港あたりはかなり空気が悪く、もやがかかっていた。緊張していたのと、スピードメータが壊れていたのと、夜だったこともあり最初の3,4時間はあっという間にすぎた。
3時間たった?と聞いたら「もう4時間走ったよ」と言われた。
暗くて道中はよく覚えていない。アドレナリンが出ていたのかもしれないし、暗かったせいで印象がないのかもしれない。
道は明るいところもあれば暗いところもある。それなりのライトを2本装備していれば問題はなさそうに思えた。そして、この時間帯はまだまだ集団で追い抜いてくる場面が多く、どれだけ参加しているのかということに驚くのと、まだこれだけの勢いで追い抜いていく人がいるのであれば、どういうペース配分になっているんだ…と心配になった覚えがある。
とにかく、終わってしまえばの話になるがわずか数分間の出来事に思える。
途中、白沙屯というところを経由するが、コンビニは人で爆発していた。あとで調べると、買い物だけで30分もかかったそうで、いかに休憩時間を短くするのが大事なこのイベントで、30分のロスは致命傷である
気づけば台中手前で朝を迎えた。日の出は6時ぐらいだったと記憶している。地図でみると半分ぐらいなのに、距離的には1/3もいっていないところが先の長さを感じさせる笑
明るくなったことにとてもうれしさを感じたのを覚えている。そして、この時間帯でもトレインを組んでザーっと抜かしていく集団が多い。休憩のタイミング次第なのだろうが、こういうのにタダ乗りできると早く着くんだろうなとも思ってしまう。正直、SRMのスピードメータが壊れていて表示されないのでどれくらいのスピードなのかわからない。
そして、明るくなったのはいいが、だんだんと厚くなってきて体力が消耗してきていることに気づいた。この時間帯はとにかく次の休憩がいつなのかだけが気になっていた。30キロ先、40キロ先だよと言われるたびにああ、1時間か、1時間15分かという計算をして、1分ごとにSRMの時間表示を確認するような時間帯だった。
高架の影、建物の影、電柱の陰ですら入って休みたいと思うほどになっていた。
思えばその週末は季節外れの暑い日で11月なのに30度を超えていたように思う。その当時日本も暑かっただろうが、最高気温20度ぐらいの地域からいきなり最高30度以上の地域にきて運動したものだから、体温の調節機能が働かなくなったのだろう。ボーっとして熱中症のような症状がでてしまった。体にも頭にもボトルの水をかけていたのだがなかなか効かない。補給車にあった氷の塊を背中に入れたいと思った時に、昼休憩となった。
思わず日陰に行ってトイレの洗い場で頭から顔を洗った。
どんなに暑い時にもインナーを着ているのだが、この時はインナーが全然乾かなかった。とにかく、自分が思った以上に汗をかいていて、そのことに全然気づかない上に、全然体が冷えなかったのだろう。遠因としては、ジッパーを開ける余裕がなかったことと、ヘルメットにゼッケンを貼ったために頭部の冷却が悪くなったのだろう(だからヘルメットに何かを付けるのはあまり好きではない)。
みんながお弁当を食べている中、自分だけは飲み物しか飲めなかった。とてもしょっぱい固形物をとる気にはなれなかった。食べないと後がつらいよ、と言われたけれども、そんなのは分かっていた。胸の奥がぐるぐるする感じでものを食べたいと思えなかった(そういう状況であっても食べないといけないのかもしれないけれども)。
多少日陰で休んだのでだいぶ回復したが、その時とった写真を見ると顔が全然笑っていない笑
しばらくして出発したが、台南までの記憶があまりない。だんだんと日が陰ってきて、ジャージのジッパーを全開にするなどしてだんだんと体調は良くはなってきたが、つらい時間帯だった。それにもまして、今度は上腕から肩にかけて猛烈な痛みが出てきた。もともと最近長距離を乗っていないために体幹ができておらず、300㎞を超えたあたりからさすがに体を支える筋肉に無理がでてきた。もう腕を切ってしまいたいぐらいに肩が痛んだ。実際のところ、脚と心配は何の問題もなかったから、この痛みさえなければ完走できたと思う。ダンシングでごまかそうにもトップチューブバッグがあるので膝に当たり、どうにもこうにもならない状態であった。ハンドルをもっとアップライトにできるバーがあればいいのに、とずっと思っていた笑
そんなこんなで高雄に差し掛かってくると夕食の時間が近づいてきた。ここで長めに休憩するという。この時にはもう、肩の痛みでほとんど走れないぐらいになっていた。この後130㎞も走るのかと思うと、絶望的だった。
そして、ここでリタイアしないと一緒に走っているみんなに迷惑をかけてしまうという強い思いがあった。費をまたいでも制限時間内につくかもしれないが、それは迷惑だろうと思った。
本当にダメになる前に終わりにしよう。もう380㎞も走ったんだ、と思うと急に気が楽になってご飯が食べられるようになり、ビールまで飲んでしまった。
夕ご飯が終わり、みんなを見送り、自分の自転車を補給車のラックに掛けてしまうと、ああ終わったんだな、楽になったという感情があふれてきた。一方で、あれほど自信があったのにリタイアなんて情けないなと思った。確かにそれほど練習はしていなかったが、それなりのペースなら走りきれる自信はあった(確かに心肺は問題なかったが)。そして、日本から走りに来るやつがいる、ということでみんないろいろ応援してくれていたのに、こんな結果になって申し訳なかった。せっかくなら感動のゴールをしたかったのだが。
それでもいったん車に乗ってしまうと、しばらくして眠りについてしまった。疲れているのもあっただろうが、前日の朝から結局ほとんど寝ておらず、36時間ほど起き続けていたことになっていた。たまに目が覚めてああ、まだこのあたりか、というタイミングはあったのだが。
そして、あとから気づいたのだが、補給車に乗っていた人が自分の代わりにチェックポイントを通過してくれていたらしい。実はこのイベント、全てのチェックポイントを通過してゴールしないと成績表や完走記念品がもらえない。用意はされているのだが、もらえないらしい。ただ、結構緩くて、本人確認まではされていないし、途中を車に乗っていてもチェックポイントだけ自転車で通過すれば何も言われない。だから、途中でリタイアした人もこういうふうに残りのポイントを車で移動して通過する人も多いらしい。「俺はそういうことはしなくていいいいよ」と言ったら、みんなやってるしせっかくだからやったらいいじゃないの、と言われたが断った。でも代わりに通過してくれたらしい。ちなみに、1回完走すると「学長級(先輩級)」になって2回目以降の完走時にはクリスタルチックな記念品がもらえる。初回は木製であるから、2回目も参加しようというモチベーションアップにはなる。

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